> ストーリー > 山内明美さん
風土は、人間が自然や気候との関わりのなかで育む《生》や暮らしのかたち。地域は、風土が時間と空間の交差と重層のなかで、人を生かす仕組み。地域への愛情を育むことが活性化の鍵となる。
 南三陸町の里山・入谷地区は、仙台藩の養蚕発祥地としてシルクで栄えた地域。その歴史や郷土文化に触れられる「ひころの里」の敷地内には松笠屋敷という、かつて旧入谷村の村長を務めた須藤家の持ち家があり、母屋は江戸時代後期の文化・文政時代に建てられた。現在は町に寄贈されたこの貴重な歴史的建造物で山内明美さんとお会いした。
「入谷地区は私が生まれ育った場所。高校を卒業して最初に働いた職場がここで、事務所に置いてあった伝書などを読んで過ごすことがありました。そのときに民俗学という分野があることを知ったんです」
 入谷地区は民俗伝承が多い地区で、入谷安部物語という安部泰武翁が江戸時代に書いた伝書には、村の創生が書かれているという。そうした伝書から興味を抱くこととなった民俗学が、後の人生を大きく変えていくことになる。
 山内さんは社会人から大学への進学を決意。現在は一橋大学大学院で博士論文に取り組みつつ、大正大学の教員として社会学を教えている。
「『ひころの里』でため込んだふるさとの知識は、研究している社会学の近代化というテーマとも繋がっていて、私が暮らしている都市部と入谷地区は良い比較対象になっています。近代社会は《神の力を科学へ》と変えてきました。都市での神信仰はあまり見られません。入谷地区ではどのように継承して共同体を維持しているのかなども研究の対象です」
 松笠屋敷の土間にある竈の後ろには釜神様が、数ある部屋のひとつには神棚や仏壇があり、古くからの日本の暮らしを垣間見ることができる。しかし、著しい近代化によって失ったものも多くあり、入谷地区に帰省するとよくわかると明美さんは話す。
 津波で記録がさらわれる土地は、人が記憶で残していくことが大事だと考え、山内さんは南三陸町に暮らすひとたちが郷土文化を学べる場として「南三陸研究会」を発足した。80年代まで盛んだった「郷土史研究会」を引き継ぐ試みだ。
 1月9日、「ひころの里」にて行われた『南三陸研究会』のシンポジウムには、明美さんに加えて「山さ、ございん」プロジェクトメンバーの一人である上山八幡宮の禰宜・工藤真弓さんも登場。第一回は「南三陸 神の訪れ<三陸世界と信仰>」と題して、宮城県と岩手県に伝わる“ゑびすの幣”、“綱飾り”、“下げ飾り”と呼ばれる切り神(きりこ)を神棚にお供えする習わしなど、三陸と神との暮らしをめぐる世界観について学べる場となった。
「なぜ今、このような勉強会を開催するのかというと、高台移転によるコミュニティー変容にともなって、神信仰などの三陸地域の《暮らしのかたち》も変化しつつあるからです」と話した。
 「きりこ」とは南三陸の宮司が氏子のために半紙で作る神棚飾りのことで、各々の神社で一子相伝されている。例えば、鯛の形に切り抜かれたきりこ(ゑびす幣)は大漁を祈願するもの。
「きりこはとてももろく壊れやすいのですが、三陸沿岸では大切に継承してきました。切り透かしといって、光と影が映り込むように半紙を切り、そして風が吹くとなびき、揺らぐ。この揺らぎに神様の存在を感じる繊細な文化なのです」と教えてくれた。
 ひとの暮らしや文化は変化することが常です。近代社会の行き詰まりの中で、新しい社会のあり方が求められていると思います。しかし、まだ誰も、その新しい社会の仕組みを見つけられてはいません。そのもうひとつの世界観が三陸にはあるように思えるのです。だからこそ、暮らしの中に当たり前にあったものを再認識することが必要であり、「ここにあった豊かさを簡単に忘れてしまって良いわけがない」と明美さんは力強く語った。
 「ひころの里」を離れ、案内されたのは入谷地区にある明美さんの母校である元・林際(はやしぎわ)小学校。なぜ「元」なのかと言えば、平成11年に廃校となり、今は「さんさん館」という宿泊施設となっているからだ。
 校舎正面入口の上には、校庭にいる児童たちに時を告げてきた壁掛け時計があり、ふと目を向けると14時46分で止まっている。大震災の衝撃で止まったのかと思いきや「閉校時に校長先生が電池を抜いた時間なんです」とまったくの偶然。入谷地区の繁栄の象徴とも言えた林際小学校の歴史は、21世紀を迎える前に静かに幕を下ろしていた。
 林際小学校の始まりは、明治時代に学制が敷かれたときに入谷のひとたちの寄付によって建設された。屋根には地元産の稀少なスレート、材も地元の山から調達したという。今でこそ過疎化が進んでしまった入谷地区も、かつてはそれだけの地域力があったのだ。
 「山さ、ございんプロジェクト」は林業から地域の活性化を図る取り組み。地元の歴史や風習などに精通し、社会学を研究している研究者として明美さんが「山さ、ございんプロジェクト」に期待しているのはどんなことだろうか。
「林業を始めとした第一次産業は、風土と人との関わりの中で育まれる生のかたちです。とりわけ林業は一本の木が育つのに三代かかると言われています。一代限りの仕事ではありません。一次産業は、単に食住に必要なものを生産するだけの場所ではありません。大量生産・大量消費社会といった近代的な価値観だけで推し量ることのできない時間の流れと、人の営みの積み重ねが、風土を生み、そこで人間がつくられ、生きるのです。分厚い生存基盤が、南三陸にはあります。歴史も文化もそのような土地からしか生まれないのです。南三陸の《生》の豊かさを足下からきちんと維持していくための試金石が、山さ、ございんプロジェクトだと思っています。」
 入谷地区を離れて東京で暮らす明美さんだが、入谷の文化などを継承していくために地元に足を運んでいる。それはまるで明美さんが明美さん自身に「山さ、ございん(山へいらっしゃい)」と呼びかけているようだ。「山さ、ございんプロジェクト」の本質は、明美さんの生き方の中にあるのではないかとすら思えた。
(文責:事務局)
「山さ、ございん」プロジェクト実行委員 / NPO東北開墾 理事
一橋大学大学院博士課程、大正大学教員、NPO東北開墾理事を務め、南三陸町を中心とした沿岸部の豊かさを保全し、次世代へ繋いでいく活動を行っている。