> ストーリー > 工藤真弓さん
人と自然の生きものが共存してきた南三陸。
けれども、その歴史の中には
過去と現在の人間どうしの「対話」もまたあった。
 工藤真弓さんが禰宜という神職を務める上山八幡宮は志津川町の中心から急な坂を上った丘の上にある。東日本大震災の津波は、神社の鳥居の一歩手前まで押し寄せたが、境内には入らなかった。
「昔は、あの防災庁舎があるあたりに神社があったのです。いつか来る津波に備えて先人の知恵が神社を移転させたのですね」
 けれども真弓さんは、2011年3月11日には避難所へ逃げる間に目の前で津波が押し寄せてきて町のすべてを飲み込む恐怖を味わった。
「ようやく少し落ち着いてから、このことを子どもたちでも、外国の人でもわかるように伝えていかなくてはならないと思ったのです。ちゃんと伝えないと、子どもはわからないままに育ってしまうかもしれない。そのためには絵で表現することが必要だと」
 真弓さんは正式に絵を学んだわけでも、職業にしているわけでもないが、とにかく描かなくては、という気持ちに突き動かされた。
「誰かやっているだろうと思ったらやっていないんです。子どもたちがお母さんやお父さんになって、語り継いでいく。その材料になればいいと願い夢中で描きました」
 そうしてできたのが、津波の恐ろしい経験を表した紙芝居。やがてそれは『つなみのえほん』という形でまとめられた。
 経験の継承、ということで言うと、真弓さんにはもうひとつ震災後深く気付いたことがある。ここ南三陸町という名に合併してなった、旧志津川町、旧歌津町には、史実をつたえようというメッセージを含む地名が多くあるのだ。汐見、塩入といった日本の各地にある地名も、ここ南三陸にあると、かつて海の潮が入ってきたのだな、ということがわかる。
 驚くのは、南三陸を形成する四地区のうちで、最も内陸にある入谷地区にすら、「大船沢」といった名があることだ。古人は、ここまで波に乗って大きな船が流されてきたということを言い伝えとして地名に託したのだろう。そこには、「希望が丘」「新都心」といった人間の都合で作られた地名にはない重みが含まれている。
 
 真弓さんは、南三陸を代表する神社の神職として、地域の文化への貢献という面では町で一目も二目もおかれる存在だ。例えば、十年前、合併して新しい町ができたときに生まれた「町民憲章」。それまで別々の町民だった人々の心をひとつにまとめていくために、海と山がつながる町としてその中での人間の営みの価値を表現した美しい文章も、真弓さんの起草になるものだ。志津川地区まちづくり協議会の委員を務め、その議論を深めるための有志の勉強会「かもめの虹色会議」の座長も務めている。
 それでも、「私は人間の歴史の中で、先人と未来の人をつなぐただの『点』なんです」と謙遜する。「点が両方をつなげば線になる。その先に成長するくらしがあれば」
 そういえばこの、つなぐ点、「接点」という感覚が、多くの世界に関して真弓さんにはあると、深く感じた。
「神社の鳥居などに下がっている紙垂(シデ)は、神域と俗世界を分ける境界を示すとも言えますが、実はそれは結界、つまり双方の世界の接点でもあるのです」と語る。神の世界に触れて、人間に祈りの気持ちを自然に起こさせる。そんな機能が紙垂にはあるのかもしれない。
「紙は、神の同音語。もともと意味は通じているのですよ」
 三陸海岸の地域に特有の、紙を切って備えものとする「きりこ」についても、「そのルーツは紙垂に行きつくのです」と教えてくれた。三方(さんぼう)に乗せたお餅や酒を表現した「きりこ」は、実際にそうした物をお供えすることができないような、東北にありがちな凶作の年にも、神様に祈り感謝することを忘れない人の心を表したのだ。
 その「きりこ」は、いまや南三陸とは切っても切れない意味を持つモニュメント「創作きりこ」として存在している。「命はなくなるのではありません。次の命になるのです」という真弓さんの言葉も印象的だった。
 南三陸の林業を盛んにすることについても、「木は切られて死ぬのではなく、新しい命を得て住まいや家具として人の傍らで生きるのです」と語る。動物の世界では、食の連鎖は文字通り命の連鎖ともいえる。
 南三陸は何度も津波に襲われ、さまざまなものを失うたび、新しくまた価値あるものをつくり出してきた。その創造を支えたのは、「人間に試練も与えるが、それよりはるかに大きな恵みを与えてきた自然の力」なのだという。その力に畏敬の念を持ちながら、正しく向き合う。それを活かすも殺すも、人間の想像力なのだと語る「点」の瞳は強い光を湛え、その言葉には、過去だけでなく未来を見通す聡明さが貫かれていると感じずにはいられなかった。
 
「山さ、ございん」プロジェクト実行委員 / 復興みなさん会 / 上山八幡宮 禰宜
上山八幡宮禰宜として、古峯神社など五社に奉仕するほか、復興みなさん会、かもめ虹色会議、南三陸椿くらぶ代表など多くの役回りを務める。